2009年4月28日
泊りがけで、スポーツチャンバラの合宿にきていました。
京都府宇治市にあるアクトパル宇治という施設です。
前夜は仲間たちと宴会をして、お酒を飲みすぎていました。
この日は朝から団体戦をする予定でした。
でもふつか酔いだと思った私は、午前中車の中で寝ていました。
中学3年の息子に起こされて、仕方なく試合の組み合わせをするために車を出て体育館に向かいました。
試合の組み合わせも終わり、昼食のカレーを食べました。
異変はその直後に起きたのです。
左足の靴がうまく履けないのです。
一緒にいたスポチャン仲間の看護士さんが脈拍をとりながら
救急車を呼んだほうがいいと勧めてくれました。
そんな大袈裟なと思ったが一緒にいた福祉関係者や医師も同じ意見だったので救急車を待つことにしました。
救急車を待つ間に容態はどんどん悪くなりました。ろれつが回らなくなっていました。
救急車に乗り込むのも転がり込むようでした。気分も悪く、救急車の中で嘔吐しました。
同行してくれた看護師さん(仲間)が生年月日を間違って伝えているが、訂正できません。
意識はあるのですが、反応がでえきません。
病院についても意識はもうろうとしていました。
まだ自分はふつか酔いだと思っていました。自分の体に何が起きているのか分かっていませんでした。
嫁さんが来てくれるまでの時間が長く感じた。
ICUで目が覚めましたが、体は動きません。
足の爪を先生にきつくつねられるが、反応ができません。
先生の声はすべて聞こえているのですがが、これにも反応ができません。
処置をしてもらう順番を待つのだが、かなり長い時間に感じました。
頭が割れるように痛かった。血管を溶かす薬で、少し楽になりました。
まわりの状況が少しわかってきました。親戚の人達も集まってきてくれました。
かなりの重症みたいです。
ICUで家族や親戚と対面しました。
嫁さんは心配を通り越して怒っています。
まだやりたいことがあったはずだと言っています。自分のいびき(のような声)がうるさいくてゆっくり眠れません。
呼吸ができないので、気管を切開して人工呼吸器をつけられていました。
人工呼吸器にはいい思い出がありません。
自分の父親が入院していた時に、死ぬ前の最終手段としてつけていたから。
人工呼吸器をつけると言われ自分はもう死ぬんだと思った。
「もう死ぬのか?」
そんなことはないと先生がいう。
生きるためにつけるのだと。納得して気管を切開してもらった。
しゃべれなくなっています。文字盤をつくってきてもらって、筆談をします。
その後の文字盤でのやりとりで自分が脳梗塞をおこしたことを知っりました。
太い血管が詰まって、毛細血管が変わりに働いてくれようとしているらしいのです。
おしっこもできないので、先っぽにチューブを入れられました。
紙おむつもつけられました。普通のトイレにいけるのが素晴らしいことだと思いました。

何日かして、SIUに移動。
そして個室。この頃、ラジオを持ってきてもらった。
最後に相部屋へと移されました。4人部屋です。
看護士さんが二人がかりで、体を動かしてくれます。床ずれを防ぐためです。
お風呂も寝たきりで入れてもらいました。
気管切開をしたせいで声がはまだ出ません。
2・3日してのどにスピーチバルブをという弁のような器具をつけてもらいました。

昼間だけ宇宙人のような声で、話ができるようになりました。
寝るときは外すので、またじゃべれなくなります。
このころリハビリも始まりました。
歩く・食べるの2種類です。
僕の場合は嚥下障害があったので、食べる練習はヨーグルトでした。
最初は4口くらい食べられただけでした。
歩くリハビリも始まりました。自分の足がこんなに弱っているとは驚きました。
まるで、他人の足で立っているようでした。
流動食からペースト状の食事ができるようになりました。

バーや歩行器を使ってのリハビリも続きました。
普段の移動はもっぱら車椅子でした。

6月15日に自宅近くの病院に転院しました。
病院によってリハビリの内容が異なるのを初めて知りました。
転院先でも移動は車椅子でした。
食事は少し形のあるものになりました。

6月27日に空手の審査会があるので退院したいといって、この日に退院することがでました。
嫁さんが毎日見舞いにきてくれたのが嬉しかったですね。
7月16日に職場復帰できました。
この体で仕事までなくなったらと思うとぞっとします。
まだ左手の先はしびれています。
安全のため最初は松葉杖を持って出勤していました。
今は自分の足だけで行けます。
まだ歌はうまく唄えないし、うまく笑えません。
相変わらず歌も歌えないし笑いもまだだが、足は丈夫になってきました。
仕事も順調だ。体調の変化もありません。
再発しないように注意しています。
運動不足にならなりがちなので駅→自宅までは歩くようにしています。
以前みたいに激しい運動はできません。
しかし、できないことを悔やむより、新しいことに挑戦してみるようにしてます。
たとえばギターを弾いたり、パンを焼いたり。
できなかったことが、できるようになることで自信につながります。
脳梗塞は罰ではなく、褒美だったんだと思うようにしています。
家族と過ごす時間が増え、残業も殆んどしなくなりました。
諦めないで、もっと回復したいと思います!
同じ病気で苦しんでいる人の励みになればと思い、経過を書きました。
<2009年12月29日記す。>